曲名 オラトリオ「メサイア」(Messiah)
作品整理番号 HWV.56
作曲者 ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(1685-1759)
台 本 チャールズ・ジェネンズ(英語)
作曲時期 1741年8月22日-同年9月14日
初演 1742年4月13日(アイルランド ダブリン)
1.ヘンデルの横顔
作曲者ヘンデルは,同じ年に同じ国(しかも出生地もごく近い)に生まれたバッハが,一度もドイツを離れず,教会や宮廷の安定した職に就き,2度の結婚を経て,20人もの子をもうけたのと対照的な生涯を送っている。
青年時代は,ヨーロッパ音楽文化の中心であったドイツ・イタリアを旅行し,20代でイギリスに移住し,終生,同国で過ごした。何カ国語も操りその当時の「世界」であったヨーロッパを自在に駆け回り,山あり谷ありの人生を送った生涯独身の国際人であったのだ。
音楽の授業では「音楽の母」と例えられ優しいイメージの彼ではあるが,実像は少し違う。出演者のプリマドンナが言うことを聴かなければ,「窓から落とす。」と脅したり,別の歌手が伴奏を気に入らず「チェンバロに飛び乗ってやる」と逆らえば,「広告に出せば,客が集まるから本番でやれ」と応えたり,一日の6回も食事をするエネルギッシュで,ユーモアと胆力を備えた巨漢であった。
興業との関わりが深く,木戸銭を取って一般客に演奏を聴かせる当たり前の音楽興業のスタイルを創始したのは彼であると言われている。また,オペラを作曲だけではなく本番では指揮に当たり,演ずる歌手を探しにイタリアに出かけたり,私財を投じて劇場経営をしたりと,現代で言うところの総合音楽プロデューサーの側面を持っていた。
当時の劇場での出し物は勃興しつつある市民階級にとって最上の娯楽であり消費の対象であった。そのため1719年,ロンドンにオペラ運営会社「王室音楽アカデミー」が設立され,ヘンデルはその芸術部門の中心人物となり,数百とも言われるオペラを上演した。その後,同社のライバル会社「貴族オペラ」も設立されその競争は,イギリス・ロンドンのオペラ文化の興隆はもたらしたものの,「王室音楽アカデミー」は「貴族オペラ」との興業合戦の末,敗れて倒産してしまう。
その結果,ヘンデル自身も経済と心身の両面にダメージを受け,1737年4月に脳卒中で倒れることになる。他方,イギリス人にとって外国語であるイタリア語で上演されるオペラが上流階級のものとして大衆の興味から外れていき,英語で書かれたポップな「乞食オペラ」の大ヒットなど,ヘンデル推しのイタリアオペラは大衆の嗜好が合わず,老境のヘンデルは時代に取り残されつつあったのである。
そんな経済的精神的肉体的に追いつめられたヘンデルの苦境を救ったのが,55歳の時に初演されたメサイアの成功である。この曲は,ヘンデルにとってまさに「救世主」となったのである。
この曲の大ヒットの秘密は,キリスト教の文化が根付いたヨーロッパで,信仰や敬愛の対象となっているイエスを題材にしたこと,そして,オペラの上演に必要な舞台装置も衣装も不要な低コストで上演できる「オラトリオ」という形式を取ったこと,そしてなによりイギリス人に理解できる英語で書かれたと言うことだった。
2.オラトリオ「メサイア」の台本について
「メサイア」は英語であるが,ヘブライ語の「メシア」に由来し,メシアは,「油を注がれた者」という意味である。サムエル記下巻には,王がその就任の際に油を塗られたことが書かれている。この言葉は後に理想的な統治をする正統な為政者を意味するようになり,転じて世を救う救世主という意味を持つようになった。ここで重要なのは,メサイアが,正統性を有する為政者という意味もあることである。
「メサイア」台本は,ほぼ,旧約聖書のイザヤ書などから採られている。新約聖書からも引用されるが,イエスの言動を表現したマタイ,ルカ,ヨハネなどの福音書からで,実は大変少ない。
「メサイア」台本は,ジェームズ・ジェネンズ(1700-1773)によって書かれている。彼は,名誉革命(1688-1689)でイングランド・スコットランドの王位を追われたスチュワート朝を支持するジャコバイト(亡命政府支持派)であった。
彼らは,現政権ではなく,将来的に,正統な王の即位を望む。それ故,イエスを所与の救世主として扱う新約聖書ではなく,神との古い契約を意味する旧約を多用して「ずっと前から到来が予告(約束)されている救世主」の出現を表現し,同時に正統な為政者の復権を暗示しようとしているのだ。
だからこそ,表向きは,イエス・キリストを描いたオラトリオであるにもかかわらず,オラトリオ「イエス・キリスト」ではなく,オラトリオ「メサイア」とタイトルを付けたのである。実はメサイアの台本は,そんな反体制・レジスタンスであるジャコバイトの政治的メッセージの側面を持っているのだ。
そんな反体制的政治的メッセージを持つオラトリオ「メサイア」が,イングランドに対して複雑な感情を持っているアイルランドのダブリンにおいて熱狂的に受け入れられたのは当然であっただろう。
3.音楽作品としてのオラトリオ「メサイア」について
そんな政治的生臭さも300年経てばいつのまにか抜け,この作品を包む社会状況も一変する。そこに残るのは,苦難を克服し栄光を得るという普遍的な価値に満ちあふれた感動的な音楽作品である。
救世主の誕生を預言する期待を背景に,イエスの誕生,イエスの受難と贖罪,復活というキリスト教の根本教義,そして,尽きることなき神の栄光と賛美を多彩な作曲技法で表現されたこの大曲は,バッハの「マタイ受難曲」と並ぶ傑作宗教曲として,現在も演奏され続けている。ただ,宗教曲にありがちな権威主義的な晦渋さはなく極めて伸びやか明朗単純な曲想は、人の喜怒哀楽など多彩な感情を描き出している。
この音楽を生み出したヘンデルを,三ケ尻正氏はこのように表現している。
「音楽家としてエネルギッシュで豪快,妥協がなく毒舌で自信に溢れる。食事にも酒にも目がなく,金儲けにも抜かりなく,政治家や思想家とも交流できる交際家で,それでいて慈善事業にも協力し,周りの人にも気を配っている。」
そんな複雑で人間くさい魅力を持つヘンデルの音楽を一緒に楽しみましょう!
4.メサイアと佐竹由美
佐竹由美の音楽活動は,多岐にわたるが,宗教音楽については常に高い評価を得ていた。同氏のブログ(Naomi’s Letter)等を見ると,バッハ「教会カンタータ」,ハイドン「天地創造」,フォーレ「レクイエム」等の宗教音楽の演奏活動が紹介されているが,その中でもヘンデル「メサイア」は繰り返し歌っていることがわかる。
とりわけ,1962年12月から毎年開催されている立教大学の伝統ある「立教大学メサイア演奏会」には,その死の3ヶ月前の2021年12月7日第60回メサイア演奏会まで毎年のように出演されていた。
Naomi’s Letterの2011年12月6日付の記事には「50周年を記念して、先日結団式と記念のレセプションがありました。立教に練習に伺うといつも思うのですが、校内は都心とは思えないぐらい自然豊かで、秋の彩で美しい紅葉を見せてくれています。毎年その景色を見るのをとても楽しみにしています。」とつづられ,同氏の立教大学メサイア演奏会への強い愛着を感じることが出来る。
香川が生んだ偉大なソプラノ歌手は,「メサイア」を愛し,いつかふるさとでこの大曲を演奏したいと望んでいたと聴く。いよいよ,佐竹由美の遺志が,令和6年3月,メサイア演奏として生誕地この香川で復活するのである。
解説:馬場基尚
(高松一高音楽部OB 昭和55年度卒)
参考文献
・「メサイア」ハンドブック 演奏者・鑑賞者のために 三ケ尻 正
・「ヘンデルが駆け抜けた時代」 三ケ尻 正
・メサイア(ヘンデル) Wikipedia
・立教大学メサイア演奏会公式ホームページ