佐竹由美さんへの一言メッセージをご紹介するページです。
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由美さんへ-伝えたいメッセージ” に対して12件のコメントがあります。

  1. 小川昌文(今村) より:

    佐竹由美さんは、高松市立高松第一高校と東京藝術大学、同大学院の同窓生として、東京藝術大学バッハカンタータクラブの元メンバーとして、また共に大学教員として音楽と教育の世界に身を置くものとして、そして私の声楽科の同級生で近しい友人の一人である辻秀幸氏のパートナーとして私にとってはとても身近な「後輩」でした。東京藝術大学に入学後、嶺貞子先生に師事されてからめきめきと頭角を表し、メサイヤのソリストや御前演奏者に選ばれ、毎コン2位受賞するなど、佐竹さんは当時の若手声楽家が目指し憧れる全てのものを手に入れました。また、後に博士課程に進学して学位を取得され、アカデミックなスキルも身につけています。そのような佐竹さんを「天才」と呼ぶ人は多いかもしれませんが、先輩として見た時、彼女は「常に自然体を忘れず、努力と精進の人」であったと思います。

    私が高校を卒業した次の年(1977年)、高松第一高校音楽部(現合唱部)はクラブ創設以来初めてNコンの高校の部全国1位、全日本合唱コンクール金賞を獲得しました。同じ年にダブル受賞するのは、高校野球において甲子園で春夏優勝するのと同じくらい大変なことですが、偉業を達成した大きな要因として佐竹さんの貢献を外すことはできません。彼女はソプラノのパートリーダーとして難しい「女の世界」を見事に統率しただけでなく、顧問の先生をはじめ部長や他のパートリーダーと常にコミュニケーションを欠かさず、クラブが一つとなるべく努力を怠りませんでした。彼女の持ち前の明るさとくよくよしない性格(と素晴らしい声)によって、彼女と接する人は誰でも彼女と一緒に頑張ろうという気持ちになったと思います。合唱に限らず、音楽系の部活動でトップの成績を取るためには、優れた指導者のもとで継続的体系的に演奏の技術を磨くだけでなく、顧問や下級生が絶対の信頼をおくリーダー集団の存在は不可欠です。私が部長であった時、一高音楽部は様々な問題を抱え、分裂の危機に瀕していました。それを佐竹さんをはじめ当時の後輩はリーダーシップとマネージメントがいかに大切かを身をもって学んだはずです。そしてその時の経験や教訓は彼女の人生に大きな影響を与えたと思います。

    東京藝術大学に1年後輩として入学してきた佐竹さんに、私はすぐ「バッハカンタータクラブ」への入部を勧めました。というのも、佐竹さんにとってサークルという仲間意識溢れる温かい雰囲気の中で切磋琢磨できる場所が必要不可欠だと思ったからです。藝大の学生は入学直後から厳しいサバイバルゲームの中に否応なく投げ込まれます。それぞれの高校や地域では超エリートだった人ばかりが競争するわけですから、よほどの覚悟と努力がなければ簡単に押し潰されてしまいます。また、生き残るために醜い手段を用いることも厭わないという雰囲気にも支配されてしまいがちになります。1年早く藝大の学生として過ごしてきた先輩として彼女にはそうなってほしくないという強い思いがあったと思います。そして、そこで辻秀幸氏に出会うことになります。その後彼と結婚することになるとは当時は夢にも思いませんでしたが、結果として私が二人を結びつけたことになるかもしれません。佐竹さんが入部直後クラブの夏合宿で初めてソロを歌う機会がありましたが、非常に緊張して顔を赤らめて歌っている光景は今も強く印象に残っています。クラブでのソロデビューはまさに彼女の声楽家としての出発点であり、輝かしい経歴の原点であったと確信しています。

    佐竹さんとは卒業後はあまりご一緒する機会はありませんでしたが、2015年8月17日に行われた「一高音楽部OB合唱演奏会」で『鷗』(木下牧子作曲)、『翼』(武満徹作曲)、そして『一高音楽部賛歌』などを一緒に演奏できたことは何よりもの得難い機会であり、喜びです。日本を代表する声楽家でありながら昔の仲間と一緒に歌っている姿は、38年前の高校生そのものの姿であり、ソプラノパートリーダー「なおちゃん」でした。そして人生を全うするまで一高時代を忘れず、自身の生き方の原点としていたと思います。できれば、佐竹さんとお話したりコラボできる機会が欲しかったし、大学の教員として音楽と教育について対話をしてみたかったです。

    佐竹さんの過去のメールが「一高OBメーリングリスト」にありましたので、一部転載します。彼女がいかにお茶目であり、一高音楽部を大切にしていたのかが垣間見えます。

    [2014−10−16付]
    皆さん、おはようございます!
    78年卒の佐竹由美です。
    1月2日に向けてご準備くださっている皆さん、本当にご苦労様です。
    色々なアイディアが出ていて、ワクワクしながら拝見しています。
    私も是非、皆さんにお会い出来たら嬉しいなと思っているのですが、諸事情があって、なかなか帰郷を決めることが出来ません。
    もしふらっと帰りましたら、ちょこっと顔だけでも見せに伺えたら嬉しいです。(^-^)
    ちなみに、在学中の写真、結構あると思います。
    色々出かけましたよねー!
    修学旅行を合唱部で九州にいきましたね!
    脳みそに映像で残っています。
    今後ともよろしくお願いいたします!(^-^)  佐竹由美(さたけなおみ)

    [2015−1−4付]
    佐竹です
    砂川くん、写真ありがとう!!
    皆さんが赤い顔で童心に戻っている姿に、笑みがこぼれてしまいました!(^^)
    本当に最高に楽しかったんですねー!
    動画も皆さん、ありがとうございました。
    その場の雰囲気、とっても伝わりました~!!
    懐かしい音楽!
    平田君が送ってくれた飲む前の「狩人アレン」、すごくいいですね~!
    竹内先生もすごく嬉しかったに違いありません!
    ところで、「青い四国の~、高松に~・・・」の
    高松・・・の「ま」と「つ」は、半音だったような・・・(^_^;)
    (ごめん、パートリーダー魂です。)
    竹内先生の指揮もキレッキレ!! 嬉しいですね。
    8月は出来れば参加したいですね!
    我が家は、お正月から主人がインフルエンザになってしまいました。
    「ぜーーーったいうつさないでよ!!」と申し渡し、
    天照大神のように、寝室から姿を出さないように、軟禁しています。(笑)
    それでは、また皆さんからの楽しかった様子の投稿をお待ちしています!

  2. 島田 直 より:

    心震える感動を

     私はそれほど音楽に造詣が深いわけではありませんが、佐竹由美さんの歌声に心が震える経験をしたのです。2020年、コロナ感染症の広がっていく中、世界は不安と鬱屈感、刺々しさのある状況にありました。拭いきれない不安感や、直接大好きな人とも会うことができない息苦しさなどは、やはり私の中にもあったのだと思います。
     しかしその中あって私は、由美さんが歌う、ヘンデルの《メサイア》から第3部冒頭のアリア「私は知っている、贖い主が生きておられるのを」を聴く時が与えられたのです。私はその時、理屈や、言葉を超えて、心が震えたのです。不安や、息苦しさ、そういったものをすべて洗い流すような歌声。その力に圧倒され、感動し、心の底から慰められたことを覚えています。イースターの直後、「復活」を歌うその曲に、私は確かに命を得た実感をしました。今もその歌声は、私のうちにあって、私を励まし、力を与えてくれます。きっとこの先もずっとです。悲しみ伏せる時も、喜びに満ちる時も、なんてことない一日も。
     由美さん、ありがとうございます。今日も私は由美さんに励まされながら、新しい一日を歩んでいます。

  3. 小泉惠子 より:

    今でも、お隣だった大学のレッスン室から、あー、あれは冗談だったの、と温かく優しい笑顔でばったりお会いしそうな気がしています。それほど、2月までのお姿が自然で、軽やかでらした佐竹由美先生、私の中では、まだ夢の中の出来事のまま、あの時の記憶から時が止まったままなのです。実感として受け止められないのです。
    お預かりした生徒さん達もきっと同じ気持ちだと思います。でも、彼女たちは私よりもずっとしっかりと立って、由美先生の歌の心を引き継いでみな着実に前進し成長しています。どうかご安心くださいそしていつまでも見守ってくださいね。
    南武線通勤の帰り道も歌のことや日常のこと沢山の楽しいお話忘れられません。先生とこんなに親しくさせていただきました幸せを心から感謝致しております。本当にありがとうございました。

  4. 後宮敬爾(うしろく・よしや) より:

    「アベルは死にましたが、信仰によってまだ語っています。」(聖書の言葉)

     霊南坂教会で行われた佐竹由美さんの葬儀の際、ご家族が用意してくださった彼女のスナップがスライドショーで披露されていました。その中に秀幸さんと由美さんが美味しそうにカツ丼を頬張っている一枚がありました。きっとお元気な頃のスナップに違いないと秀幸さんに確かめると「いいえ、病を得てからのものです」と即答でした。
     深刻な病との戦いがありながら、そのことを一切感じさせない屈託のない笑顔……そこに私は佐竹由美という人の実存を見た気がました。
     由美さんは歌を届けることで、落ち込んでいる人には勇気を、下を向いてい人に前向きな心を、悩んでいる人に支えを与えたいと願っておられました。その歌のために、すべてを傾けておられたのです。自身がどんな大きな痛みを抱えていても、あの天使のような歌声を通して、人々に愛と希望を届け続けられたのです。
     2021年クリスマス、当教会での奉唱は
     2021年は、「コロナ禍」と言われる事態がいつまで続くのかわからないという不安が世界中を覆っていた時でした。その時のクリスマス、そういうときにこそ、教会は礼拝を通して、賛美を通して人々に慰めと勇気を届けたいと願っていました。
     その礼拝における奉唱曲は、オルガニスト関本恵美子さん、そして佐竹由美さんの独唱によるヘンデル『メサイヤ』から「主は羊飼いのようにその群れを養い」のアリアでした。由美さんの美しい歌声が、礼拝堂に響きました。そして、その礼拝に出席した人は、間違いなくその歌声に癒されコロナ禍の中を生き抜く励ましを受けたのです。まるで主の養いを受けたかのような体験だったにちがいありません。
     もちろん、その時も、病はかなり深刻に由美さんの身体を蝕んでいたのです。けれども、そんなことをまったく感じさせない見事な美しい賛美でした。
     それから70日、佐竹由美さんが天に帰られたという報せは、教会員にとっては「全く想像もしていなかった突然の悲報」でした。特にクリスマスに由美さんの歌声を直接聴いた人たちにとっては「あのクリスマスの歌声には、病の陰などみじんも感じられなかったではないか。信じられない」という驚きでもありました。
     けれども、彼女の歌声は、あのクリスマス礼拝に参加したすべての人の心に、今なお響いているでしょう。冒頭の聖書の言葉が示す「死んでもなお語る信仰がある」ように、由美さんが天に帰った後も、なお、彼女の声はなお人々の心に響き渡っているのです。
     由美さん、天使の歌声、ほんとうに、ありがとうございます。

  5. 中川郁太郎 より:

    あたたかい時間

    一昨年のクリスマス、霊南坂教会。
    ロビーでクリスマスのリハーサル開始を待っていたら、なおみ先生がいらした。
    30分も話しただろうか?
    カンタータクラブのこと、共通の先生のこと、秀幸先生の芸大でのご活躍などなど… いつもに変わらないなおみ先生の明るさ、やさしさ。太陽の光を浴びたように、心がスーッとあたたかくなった。そして、最後の歌のご奉仕を、一緒にさせていただいた。
    なおみ先生がくれた、神様がくれた、あのあたたかい時間… 一生わすれない。わすれずに、今日も歌う。

  6. 田中梢 より:

    由美さんと出会ったのは由美さんが芸大大学院の時伴奏させて頂いた時です。日本音楽コンクール最高位受賞の時、香川でのリサイタル、全国各地での演奏活動の伴奏をさせて頂きました。
    由美さんの音楽は神様に与えられた天性の美声と美しいフレージングと的確な宝石のようなメロディを紡ぐ言葉。由美さんと一緒に演奏する中で私は沢山の美しいものを頂けました。最後に木下牧子さんの作品を伴奏者として録画に残せたのは私の誇りです。
    独身時代に出会い、同じ時期に結婚して同じ時期に子供を持ち、音楽をしながら主婦をしながら子育てする大変さを共有しました。その大変さを乗り越えて、教授職をやりながら大演奏家として演奏し続けた由美さんには尊敬しかありません。
    常にいかなる時も謙虚で感謝の気持ちを忘れなかった由美さん。素晴らしい方。ありがとうございました。

  7. 成田英明 (由美さんが博士論文提出時に大変にお世話になった当時藝大の英語の教授) より:

    レクイエム ある歌姫のために
    成田英明
                  

    歌姫が逝った
    美しい歌姫だった
    歌い足りないまま逝った
    愛を歌った
    星座はたおやかに踊った
    悲しみを歌った
    木石も涙を絞った
    誘惑を歌った
    船は岩に砕けた
    なおみ、

    聞こえない歌を歌っていた
    聖母への祈りだった
    神の招きと戦っていた
    悲しみの滴りを紡いでいた
    別れの切なさを一人綴った
    なおみ、

    ああ神よ、何故あなたは
    あの人を私たちに
    与えたのですか、
    愛を教え、あくる日すぐに
    荒々しく連れ去るとは、
    明日を取り上げるとは、

    ああ神よ、
    朝から雨の滴る一日
    雨粒のその間から
    あの歌声が聞こえますか、
    あやめも分かたぬ闇のあわいの
    あの哀歌が、

    夕日が沈み
    一日が静かに終わりかける頃
    あなたは蘇る
    あの山の端に
    入り日の後戻りか
    あなたは蘇る
    なおみ、 

    明日、また明日、
    そしてまた明日の日が
    色褪せた終末に向かい
    歩みを続けようとも
    あなたは色褪せることなく
    涙と共に蘇る
    やがてその涙も枯れ
    あなたの笑顔と歌声が
    全ての霧を晴らすとき
    あなたはようやく
    旅立つのでしょう
    なおみ、

    光に乗って
    故郷の遠い銀河へ
    束の間暮らしたこの星のことを
    伝えに帰るのでしょう
    青い空と深い海
    白い嶺と緑の草原
    乾いた砂漠と暗いジャングル
    人の憎しみと人の愛と
    人の悲しみと人の喜びと
    人の妬みと人の気高さと
    この小さな星のすべてを
    なおみ、

    歌姫が逝った、
    長い長いその旅に祈る
    なおみ、なおみ

  8. 藝大声楽科・バッハカンタータクラブ 同級生 仙台在住 佐藤淳一 より:

    なおちゃんに想うこと

    なおちゃんがこんなに早くに逝ってしまうなんて誰が予想したことでしょう。本当に残念でなりません。学生時代のことが頭の中をぐるぐる回っていますが、いざ思い出そうとするとなおちゃんの笑顔しか浮かんできません。そして学生の頃から変わらぬ透明感のある声にいつも感嘆していました。
    卒業後もなおちゃんとはたびたび演奏会でご一緒させていただきました。新潟や仙台、郡山などでヘンデルのメサイアやバッハのカンタータを一緒に演奏しました。仙台では私の合唱団の演奏会にも出演していただいたことがあります。常に安定した歌声で、外れのない確かな技術と演奏に自分も見習わねばと密かに思っていました。
    そのようになおちゃんには絶大な信頼を置いていましたので、我が家に音大受験のためにレッスンに来ていた女子高生のほとんどがなおちゃんにお世話になりました。加えてわが娘も高校生の時から面倒を見てもらい、大学においても門下生としてお世話になっています。
    大好きな辻さんとお付き合いし、結婚してからも変わらぬ笑顔で過ごしていたなおちゃん。我が家内も天然なところがあり、家内の言動からなおちゃんを思い出すこともありました。遺影となった写真もとても素敵です。いつまでも心の中に笑顔のなおちゃんを残しておきたいと思います。

  9. 藝大バッハカンタータクラブ後輩 仙台在住 佐藤明子 より:

    なおちゃんへ

    可愛らしくて美しい人、透明感があってどこまでも響く美しい歌声の憧れの先輩でした。先輩に娘が歌を教えていただけることになり、高校生の時から国立音大でも教えていただきました。娘の歌声を聴いていると先輩が娘の中にも生きている気がしています。
    思い出は、夫婦で沖縄旅行に行った時のことです。秀幸さんのFacebookを見て、お二人が沖縄にいらしていることがわかり、連絡を取ってみると、一緒に車で観光しましょう!と言ってくださり、秀幸さんなしで(秀幸さんはお仕事)、淳一さんと私と三人で沖縄ドライブをしました。前日にもう回った所も私達のために回ってくださり、ありがとうございました。いつまでもあの歌声を聴いていたかった。娘もまたレッスンしていただきたかったことと思います。早くに亡くなってしまって本当に残念です。

  10. 加納悦子 より:

     ヘンデル「メサイア」では、私は度々、佐竹由美さんのソプラノソロを、その左隣の特等席で聴かせていただきました。私が全体力・気力を振り絞って這々の体で歌うアルトソロに対し、彼女は「ただそこに立ち」いつも通りの呼吸をして、まるで小鳥のように歌っていました。
     佐竹さんが体調不良を感じ始められたのは、国立(くにたち)音大の大学院修了試験の頃だったかもしれません。声楽の教員の中で唯一、博士号をお持ちの佐竹さんには、たくさんの博士論文の査読が課されていて、「毎晩遅くまで論文を読んでいるから疲れるのかなぁ」とおっしゃっていたのです。実のところ「斜め読みすれば、、?」なんて、他の声楽教員たちは冗談(本気)も進言したりもしたのですが、そこは仕事を貫徹させる佐竹さんの本分が許さなかったかな?と、私は思っております。
     その後、私も佐竹さんの大学での門下生を数名引き継ぎ、今もその学生たちと日々奮闘しています。もう二年も経ったのに、彼女たちの歌唱を聞くと、佐竹さんのスタイルが彷彿とされて驚くばかりです。佐竹先生が愛していた英米歌曲を歌いたいと熱心に取り組んでいる学生もいます。
     ご夫君のメッセージを拝読すると、佐竹さんは学生たちの将来について深慮されていたご様子ですが、私は佐竹さんが知らず知らずに蒔いた種は確かに芽を出し、それぞれの形を取りながら、大きな樹木になっていくのであろうと思っています。
     
     加納悦子
     メゾソプラノ・国立音楽大学教授

  11. 辻󠄀秀幸 より:

    皆さんにとって佐竹由美はどの様な存在だったのでしょうか。私にとってはただただ可愛い恋女房で、音楽の道では同志であり、家族としては愛娘の母で愛孫娘の優しいお婆ちゃんでした。
    そして私にとって世界中で最も敬愛し信頼する歌い手で、大切な共演者で、アドバイザーで、且つ愛おしい恋人で妹のような存在でした。
    彼女は人間以上に(笑)動物が大好きで、初デートは千葉県のマザー牧場でしたし、世界中どこへ行っても動物園・牧場をチェックしては時間の許す限り小動物に始まりウサギからライオンに至るまで餌やりをし続けておりました。
    保護犬活動にも熱心で、今日も我々家族は彼女が遺していった2頭の保護犬の世話に追われる日々です。

    そんな彼女が 「手術の出来ない 余命も予測できない、早くして他界した彼女の御父上と全く同様のスキルス性胃がんである」ことの宣告を受けた衝撃は今思い返しても正に人生最大の出来事でした。しかしながら、その日から彼女が貫いた「全く変わらぬプリマ・ドンナの日常」は、その病の重大さを遥かに凌ぐ、大きな驚きと感動の日々でした。
    私に対して由美は常に励ます言葉を投げ掛け、どちらが深刻な病なのかを見誤るほどで
    した。実際コロナ禍の非飲酒・非外食もあって、その当時私は体重が激減し、逆に彼女は腹水が溜まる事との闘いの日々であったので体重はまるで落ちずに寧ろ増え続けるような有様で、周囲の皆様も彼女の病には全く気付かずに、逆に私の健康を案じて下さる程でした。しかしそのことは彼女の思惑通りの展開でして「病の事が知れると共演して下さる方々が気を遣って私の理想とする練習も演奏も出来なくなるから、お願いだから極力内緒にして欲しい」と私や娘、家族に穏やかに訴えて来ました。そして帰天する二カ月前まで堂々と、誰からもそれと気付かれずに歌もて皆に幸せを届けつつ、崇高な人生を歌い遂げたのです。

    国内に留まらず世界中どこへ行っても竹内肇先生の薫陶を受けたその声と歌唱スタイルは聴衆はもとより共演の指揮者・歌手のみならず器楽奏者からも常に絶賛を浴びておりました。多くの国内外の作曲家からの信頼も厚かったです。
    あの世界の歌姫アーリン・オジェーをして「貴女は自分自身の歌唱の何処かに欠点があると思うその心が唯一の欠点です。」とまで言わしめた彼女の歌い手人生は、確かに少し短かったかも知れませんが、決して不幸で薄幸なものであった筈は有りません。
    そんな彼女が就寝前に時に涙しつつ「どうしよう・・・」と訴えてきたのは大学で指導していた生徒達の行く末でした。「折角あの子達にここまで道を示せたのに この後何方に託して育てて頂けば良いだろうか・・・」と意識ある内は最後まで気にしていました。
    そして癌発症前から「高松で一緒にメサイアやりたいね」と折にふれて私に申しておりました。
    今の自分は未だ「由美ロス」真っ只中に居ります。腑抜けで根性無しで我ながら情けない日々を送っております。
    どんな演奏をしても、聴いても、美味しい料理を頂いても、素晴らしい景色を目にしても、娘や孫との楽しい時間も、お互いの親兄弟・親族の話をしても、その総てを「由美と共有出来ない」ことの空しさ、哀しさは例えようも有りません。

    しかし由美の帰天から2年を経た今、私は由美が愛し慈しんだ方々、由美が大切だと感じ続けたものを、今後は私が悉く大切にして行こうと心に決めました。
    由美の葬儀の準備の際に、敬愛する母教会の牧師先生から「由美さんを一言で表すとしたら 辻さんにとって由美さんはどんな方でしたか」と尋ねられた際に私の口は間髪入れずに「天才・天然・天使」と発しておりました。そのことは正に由美という天然天使が私に舞い降りて、共に至福の日々を過ごしてくれたことへの感謝だったのかも知れません。もしかしたら「言わされた」のかも知れません。

    だから学生時代を含め、由美と過ごした40数年の日々に感謝して生きて行きたいと願っています。
    生前から由美の高校時代の、特に音楽部の仲間の皆さまとの絆を私はいつも羨望の眼差しで見詰めておりました。
    どうか皆さんにとっても彼女との時間が、宝石の様にいつまでも変わらず光り輝き続けて下さることを心から願っています。
    今回の企画にあたり様々にご準備下さったご友人の皆様、共演の器楽奏者の皆様、合唱団の皆様、そして佐竹一郎義兄さんに 心からの感謝を申し上げます。

    そして なおみちゃん!!
    (本当は内緒のお互いの呼称があったけどww)
    本当にありがとう!
    またね。
                           故 佐竹由美  夫 辻秀幸

  12. 三浦克次 より:

    佐竹由美さんの思い出
    三浦克次 藤原歌劇団団員・日本オペラ協会会員 同業者

    佐竹さんと初めて会ったのは彼女が日本オペラ振興会の研究生だった時です。1993年修了公演でモンテヴェルディの『オルフェオ』で王妃プロセルピーナを歌った時に私は助演で王プルトーネ役でした。あまりにも上手に歌うので聞いてみたら、「芸大を出たんですがオペラの経験が無いので研究生になりました」と答えたのでその謙虚さに驚いた事を覚えています。
    次は2年後の1995年の日本オペラ協会公演『山椒大夫』(小山清茂作曲)で彼女は安寿で私は国分寺の僧でした。美しい声と日本語が印象に残りました。
    その後、新潟で2001.2003.2011年と『メサイア』で共演しました。
    そして翌年2012年には『かぐや姫』(平井秀明作曲)でかぐや姫役と帝役でご一緒しました。今でも覚えているのは、オケ合わせの時、私が帝のセリフ「かぐや姫よ、そなたほど美しいものは他にはおらぬ」と言った後に「オーケストラの人たちはお休みだからみんな振り返って確認するのよね。嫌だわ~!」と小さい声で言っていたのが可愛らしかったです。
    次は2013年のコンサート『ヴァレンタインに贈る愛の二重唱』でした。
    そして最後は同じ2013年、ニューヨークのカーギーホールでの『第九』(平井秀明指揮)。
    その後、「コンサートでご一緒できたら」と誘っていただきましたが、過密スケジュールと私の譜読み・暗譜能力への不安からお断りしてしまいました。大きな心残りです。

    皆さん同じように感じていたと思いますが、佐竹さんは人柄も音楽作りも真っ直ぐで、深くて、温かい人でした。
    きっと天上でも沢山の人(動物たちも)と仲良くなって、美しい声を響かせていると思います。何十年後かに、またそちらで一緒に歌えるのを楽しみにしています。
    それまでしばらくさようなら。              三浦 克次

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